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読書 あれこれ その231

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 9月20日(水)15時06分11秒
返信・引用
       「情人」   花房 観音著
    笑子は特に成績が優秀でもなく、かといって落ちこぼれでもない、成績は常に中の上と中の間をふらふらし
   ている、地味で無気力な高校三年生だった。・・・・・
   今思うと、兵吾は自分が親戚の集まる場が苦手だから、私を利用して外に出ていたのだろう。十三の空気は
   兵吾の纏(まと)う空気と似ていた。あとになって思うと、あれは男の匂い、性を纏わりつかせる大人の空気
   だというのはこじつけだろうか。
   そんな中で、一番曖昧で他人から見ておかしなことは、自分が母の男である兵吾に会い続けていることかもし
   れない。兵吾が働いているとき、何度か足を運んでいた。寺をやめて事務所を借りたと聞いて、さすがにひと
   りでいきなり行くのには躊躇いがあって疎遠になった時期もあったが、就職してからは、「仕事」という名目
   で、ときおりそこを訪ねるようになった。・・・・・
   私はそこから逃げてしまった。母が去った父親と、引きこもりのどうしようもない兄のいる家から――――。
   そんなうしろめたさを感じているくせに、笑子はあの男のもとに向かっている。母の男のもとに。

   片岡樹(いつき)は一か月後に、笑子は会社を二か月後に辞めて東京へ行くつもりだった。婚姻届は片岡が
   東京に行く直前に出して、「片岡笑子」となった。
   姫野という家の人間ではなくなったのだと思うと、ホッとした。もうあの兄とは名字が違うのだ。私は姫野
   笑子ではなく、片岡笑子だ。東京で、片岡笑子として新しい人生を送れる――――。

   セックスに逃げ込みたいときがある、人と肌を合わせることでしか救われないときがある、セックスでしか
   自分で自分を救えないときが―――兵吾の言葉が、私を壊す。私の鎧を脱がす。
   私が兵吾を求める気持ちは、私の知っている恋でもないし、愛でもない。恋人ではないし、愛人も違うよう
   ような気がする。友人などでは絶対にない。いうなれば、情人という言葉が相応しい気がする。
         じょうじん、じょうにん、いろ―――おとこ。
       情欲でつながっているのだから、この男は私の情人だ。

   けれど樹は、明らかに以前よりも生命力に満ち溢れていた。私との生活では得られないものが、いや、遥かに
   樹の人生にとって重要で大切なものが、彼の仕事にはあったのだから。

   「俺たちが何も知らないと思っているのか。お前が、あのとき、誰と一緒にいたのかも――樹君は、全て知って
   る。震災の前から、気づいていた。あの日、笑子が心配で、マンションに電話をかけたら、樹君しかいなかった。
   笑子はどこにと聞くと、彼が、笑いながら『お義母さんたちがよく御存じの男のところですよ』と答えて、呆然
   となったんや」
     私は唇を噛み、父から目をそらす。   知られていたのか、なにもかも―――。
   「―――あの男だけは、あかん。あの男とのことは、私の人生最大の過ちや。後悔してるんや」母はバッグからハン
   カチを取り出し、口を押え、くぐもった声で言葉を続ける。

   「いい話だよ。自分の兄貴が、やっとひとりで、自分の足で歩み出そうとしてるんだから。結婚して、新しい土地
   で子どもを作って生きていこうとしてるんだ。笑子が落ち込むことはないよ。親だって、安心してるはずだし」
   確かに樹の言うとおりだ。落ち込む話では、ないはずだ。
   「そうだね」私は無理やり、自分を納得させようと、そう言った。
   樹の表情は変わらない。優しげな顔だ。  「連絡しない。一生会わない。二度と顔も見たくないから」樹は
   私にそう告げると、容赦なく背を向けて、歩き出した。私はただ立ちすくんで、その後ろ姿を目で追うことしか
   できずにいた。

   「兵吾―――」  世界が終わる――そう思ったあの日に、抱き合っていた男――離れたくないとすがりついた
   男――。  情人――私が、誰よりも激しく求めた男。何度も肌を重ねてつながった男。
   私を救う男が去った部屋で、私は男の名を呼び続ける。ひとりになったと、失ってしまったのだと、確かめるた
   めに。
   そして、それでも生きていかねばならないと、思い知るために。

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 
 

読書 あれこれ その230

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 9月 2日(土)21時13分26秒
返信・引用
         「キャプテン」   ちば あきお原作  山田 明小説
    丸井(キャプテン)さんがボールを打った。かなり強い打球だ。俺(イガラシ)はグローブを差し出し、それを
   さばく。いい感じだ。気持ちよく捕ったボールをキャッチャーに返した。日本一を目指すか。
   俺はノックを受けながら、丸井さんの言葉を振り返る。
   日本一―――いい響きだ。必ず日本一になろう。そんなことを考えながら、俺は飛んできたボールに飛びついて
   いった。

  「あぁいい。聞こえてたから。俺に、キャプテンを降りてもらいたいんだろう?たしかに、感情的すぎて、俺、キャ
  プテンに向いてないもんな。俺、降りるわ。そのほうが野球部のためにいいと思うし」

  「じゃあ、『丸井さんのキャプテン続行』でいいんですか?俺(イガラシ)、すぐにでも丸井さんを追いかけて、
  話してきますけど」そう言って、俺は立ちあがった。

  「・・・丸井、俺は野球部をやめるから」そう言って俺の腕を振りほどくと、河野は自分の教室へと戻っていった。

  「さっきも言ったけど、俺、河野の気持ちがわかるんだよ」俺の答えを待たずに、加藤が言葉をつないだ。「こいつ
  には、どうやったってかなわない。あきらめた、俺の負けだ、みたいに感じる奴が身近にいる人の気持ちがさ。丸井、
  俺にとっては、お前がそういう存在なんだよ。お前は、イガラシみたいな才能があるわけじゃないけれど、野球や
  チームメイトに対して、ホント熱いよな。その熱さも才能だ。俺には絶対、そんなことはできないから」・・・・
  「俺、もう一回だけ、河野を説得してみる!やっぱり、河野がやめるなんて絶対にイヤだ!俺は、そんなに、ものわ
  かりよくなんてなれない!」・・・・
  「河野!俺、やっぱり、お前にいなくなってほしくない。野球部をやめないでくれ!」丸井は泣いていた。泣きなが
  ら、ずっと走ってきたのだろうか?
  「丸井!だったらお前も石を投げろ!向こう岸に届いたら、河野は野球部に残ってくれるから!!」島田の大声が
  響いた。島田はまた石を拾い、全力で投げた。

  「見たか、河野!?俺たちの勝ちだ!約束だ!!野球部をやめるなよ!」泣きながら笑い、そして子どものようには
  しゃぎながら島田が叫んだ。
  ―――負けたよ、島田。ありがとう。丸井も加藤もありがとう。「わかった!野球部はやめない。だから、もう戻っ
  てこいよ」そう俺は答えた。もう、野球部に残るしかない。いや、野球部に残れるんだ。

  よし、やるか!あの青葉中を倒して全国を目指す以上、普通のやり方じゃダメに決まっているんだから。
  全国大会出場、そして日本一。ばくぜんとした夢でしかなかったものが、今はっきりと俺には見えている。あとは全
  力で駆け抜けるだけ。絶対に日本一になれるはずだ。夏合宿に練習試合、そして夏の大会。自分たちを信じて、全力
  でぶつかっていこう。

  1回の攻防を終えて4対2。青葉を相手に、最高の出だしだといっていいだろう。・・・・8回の表。5対5の同点。
  ふりだしに戻ったようだが、現実は、チームの状態には格段の差があった。試合は12回の攻防に入った。
  丸井さんから事情は聞いた。次の回で試合を放棄する可能性が高いということを。はっきり言って悔しい。試合を
  放棄するなんて、絶対にしたくない。気力はまだある。それなのに、もう体がほとんど動かなくなってきている。
  体力が尽きかけている。・・・・・

  カキ――ン!  気持ちのいい金属バットの音が響いた。それに続いて、ものすごい歓声が聞こえてきた。小さな
  球場が揺れているようだ。    ボールの行方を見る。
  高々と上がった打球は、そのままレフトスタンドへと飛び込んでいった。よかったホームランだ。
  OBの先輩たちが大きな拍手を送ってくれていた。優勝することができたのは、間違いなく、みんなのおかげだ。
  俺、谷口(前キャプテン)さんみたいなキャプテンにはなれなかったけど、谷口さんみたいにチームを引っ張れなか
  ったけど、部員たちが俺を支えてくれて、俺はみんなと一緒に進むことができたんだ。

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 

読書 あれこれ その229

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 8月19日(土)17時48分1秒
返信・引用
        「きよしこ」  重松 清著
   少年(きよし)はひとりぼっちだった。思ったことをなんでも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の
  中の世界にしかいないことを知っていたから、きよしこに会いたかった。・・・・・
  この町に引っ越してきたのは十月だった。父親の転勤で、二学期の途中にやってきた。
  それにしても「きよしこ」ってなんだろう。勘違いはそこから始まって、ひらがなだけで書かれた歌詞を読むにつ
  れて、どんどん歌の内容の意味がずれていった。でも、「きよしこ」の正体は、最後までわからなかった。

  先生はそのときはなにも言わなかったが、ずっとあとになって、少年は知る。先生は母親を診察室に呼んで、精神
  的なことが原因かもしれない、と言ったらしい。たとえば言葉を覚える時期になにか大きなショックを受けたとか、
  そういうことはありませんか―――。
  母親は膝の上でハンカチをぎゅっと握りしめて、泣きだしそうになるのをこらえていた、らしい。

  きよしこに会いたい。自分とよく似た名前の、夢の中の世界に住んでいる友だちに会いたい。

  ゆうべの両親の話は、父親がため息交じりに言ったこんな言葉で終わった。「まあ、どっちにしても、ちゃんとしゃ
  べれんようじゃと、一生だめになってしまうけん・・・・・」  母親は声を押し殺して泣いていた。

  助けて、きよしこ―――。でも、きよしこは姿を現さない。きよしこは、どこにもいない。

  「きよしっていうんだ、ぼく」きよしこは、「知ってるよ」と笑いながら言った。おとなとも子どもとも、男とも
  女ともつかない、でも優しい声だった。どこから聞こえるのだろう。目には見えない。でも、きよしこはいる。
  気配が確かにある。あそこに、ここに、あっちにも、そっちにも・・・・この部屋のどこにでも。
  「君は、だめになんかなってないよ」きよしこは言った。「君は、ちゃんとしゃべってる。ただ、それがあまり
  じょうずじゃないだけなんだ」とつづけて、「だめになんか、なってない」と念を押した。
       どこにいるの―――?
  きよしこの居場所を知りたかったが、まあいいや、と思った。きよしこはいる。それだけでいい。・・・・・
  言葉は、目に見えない糸に導かれているみたいに、なめらかに、よどみなく流れ出た。歌うようにしゃべった。
  はずんだメロディーとリズムの歌になった。
  きよしこは、ずっと聞き役をつとめてくれた。「うん、うん」とテンポよく相槌を打ち、「それで?どうなったの?」
  とブランコを後押しするように先をうながした。思っていたとおりだ。きよしこが相手なら、心の中に浮かんだ
  言葉をそのまま話せる。

  「君はだめになんかなっていない、ひとりぼっちじゃない。ひとりぼっちのひとなんて、世の中には誰もいない。
  抱きつきたい相手や手をつなぎたい相手はどこかに必ずいるし、抱きしめてくれるひとや手をつなぎ返してくれ
  るひとも、この世界のどこかに、絶対にいるんだ」きよしこは最後に「それを忘れないで」と言った。
  少年はもう一度、今度はもっと大きくうなずいた。
  「おかあさん・・・」きよしこの言うとおり、母親の体のやわらかさと温もりに触れていると、気持ちが安らいで、
  体と心の奥深くにあるなにかが溶けていくみたいだった。
  「ゆうべ・・・・ごめんなさい」言葉は喉にも顎にもひっかからずに出た。


  そして、きよしこ―――ひさしぶり、だった。ほんとうに、ずっと、ずうっと、会いたかったのに。なんだ、ここ
  にいたんだな、君は。
  「どちらまで?」と駅員が不機嫌そうにうながした。少年はもう一度深呼吸をした。ずっと入りそこねていた縄跳
  びの輪に跳び込むように、息と声を吐き出した。

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 

読書 あれこれ その228

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 8月10日(木)17時20分0秒
返信・引用
      「赦(ゆる)す人」 大崎 善生著
   本業は断筆、雑誌は大赤字、刀は二束三文、商品相場は壊滅状態、御殿は競売、たったの五年間あまりで鬼六は
  おそらく評価額を含めて数億円にも上る損をし、現代の落ち武者のように杉並区浜田山の借家に逃げ込むことにな
  ったのだ。

  題材を提供したのは父だったかもしれないが、作家として骨となる文体や文章といった基礎は、母・幸江から受け
  継いだものだという気がする。だからSMを書いているときでも鬼六の文章はどこか気高く背筋をピンと張ったよ
  うな美しさがある。もちろん鬼六の文体は最終的に自身の感性や経験、教養などによって培われたものに違いない
  だろうが、しかしその芯の中の芯ともいえるものはそこにあるように思えてならない。

  「もう無茶苦茶な親父ですわ」と神崎川駅へ向かうワゴンタクシーの中で鬼六は呟いた。
  「相場、借金、夜逃げ、女遊び。この果てることのない繰り返し。高校のときに父親に英語塾に行かされるんです
  が、その理由が英語を覚えてそれで宝塚の女優を引っ掛けろっちゅうんです。あとは一生遊んで暮らせる。そんな
  ことを本気で言うんやから。もっとも僕は英語塾には行かずに金だけちょろまかしてそれで友達と将棋道場へ通っ
  ていました」

  鬼六は自分は小説家になる気なんかこれっぽちもないし、才能もないと自説を繰り返し、相場をやったり酒場を
  経営したりして遊んで暮らしたいんだと主張した。そんな鬼六の言葉にとうとう香西は堪忍袋の緒が切れた。その
  場で絶交を申し渡されたのである。幸江から紹介されて鬼六の処女出版の手はずを整え、出版パーティーまで開い
  てくれた文藝春秋の恩人編集者を、鬼六はこういう形で裏切ることとなる。それがおそらく純文学から四十年近く
  鬼六を遠ざけ、エロ小説に邁進させたひとつの大きな要因になったのかもしれない。・・・・・
  知人から次々に三行半(みくだりはん)を突きつきられ、近寄ってくるのは借金取りばかりという状況。しかしど
  ういうわけか、そんな鬼六に救いの手を差し伸べた女性がたった一人だけいた。それが板倉三枝子である。
  当時三枝子は二十六歳。日大芸術学部を卒業して地元の三浦市三崎の中学校で英語教師の職に就いていた。

  「あんたは小説家くずれとして、SM小説に転向しなさい。とにかく、結婚(三枝子と)したんやから今までみた
  いに夢ばかり追いかけてたらあかん。銭になることを考えるべきや」必ず最後には銭の話になるのは関西人美濃村
  のリアリズムであるが、そのためにもあんたはSMを書けと断定されてしまった。

   (体があって仲間がいる限り金を浪費し続け、それでも飽き足らず相場に不動産に刀に雑誌発行にと湯水のよう
    に使い続け、最後にはすべてを失ってしまう。見事という他はない。何という欲のない鮮やかな人生。)

  ピンク映画界の衰退と期を同じくして空前のSM雑誌隆盛時代が訪れた。「SMセレクト」は発行部数十万部という
  数字を達成し、それに追随するように続々と新雑誌の創刊ラッシュがはじまる。

  「あんなに儲かっていて会社を潰したのは僕くらいのもんでしょう」と鬼六は苦笑いした。高らかに解散宣言をして、
  鬼プロは晴れて倒産。・・・・・

  こうして二十年間に及ぶ二人の結婚生活に終止符が打たれたのである。鬼六と三枝子の離婚は安紀子にとっても絶対
  にあり得ないと思っていたほどの衝撃事だった。
  そんな安紀子の元を鬼六の母・幸江が訪れた。幸江は安紀子と鬼六と一緒になることを頼み込んできたという。そし
  て「黒岩家を救えるのはあなたしかいない」とまで言ったのだった。それでも安紀子はレコードの売れ行きや今後の
  ことが気になり一年くらいはぐずぐずしていたそうだが、たびたび幸江に「何とかお願いできないか」と口説かれて、
  ついに「そういうことならば」と立ち上がったのである。

  SMという引き出しの中に厳重に閉じ込められていた作家団鬼六。それが一般文芸誌という新しい舞台に引きずりだ
  された。杉並区浜田山というまだ住み慣れない土地で、文芸誌という新しい畑に立って小説に向かう鬼六の胸は新鮮
  な高揚感とともに高鳴っていた。・・・・・
  文句のつけようのない上々の再スタートを切った鬼六であったが、好事魔多しの言葉通り、思いもよらぬ障害が待ち
  受けていた。講演の最中に脳梗塞の発作に見舞われるのである。そのまま入院となった。

  この頃から鬼六は確信的に快楽主義者という言葉を使いはじめる。
  自分はとにかく快楽だけを追い求めて生きてきたし、これからもそうするつもりだ。そう宣言し、七十八歳を過ぎて
  なお人生の歓びを追及しようとする姿はシンプルで魅力的だった。透析による体力の回復が、再び鬼六の目を快楽へ
  と向かわせたのである。おそらくその思いはかってないほどに強いものだったろう。
  快楽なくして何が人生か。それが晩年の鬼六の旗印となった。

  アホもいる。詐欺師もいる。変態も山ほどいた。ヤクザもいれば刑事もいた。小池(アマ将棋の強豪)のような食い
  詰めた真剣師もいれば、将棋指しに相撲取り、役者に噺家に編集者。鬼六の手形を盗み出して挙句の果て自殺したヤ
  クザまでいた。しかしそれらのすべてを鬼六は受け入れ、赦し、そして時には人に自慢さえした。
  僕のところにはこんなしょうもないヤクザがいるんですわ。買った刀はみんな偽物でしたわ。
  五億円、飛びましたわ。女には必ず浮気されました。

  *団鬼六のペンネームの由来
   これからは誰にも遠慮せずに鬼のようにエロ小説を書く。その鬼に昭和六年生まれで、鬼六。そして団令子(東宝
   の大スター女優)が凄く好きだったもので団とつける。

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 

読書 あれこれ その227

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 7月27日(木)16時14分8秒
返信・引用
        「恋愛合格!太宰治のコトバ66」  高野 てるみ著
   □恋をはじめると、とても「音楽」が身にしみて来ますね。
    あれがコイのヤマイの一番たしかな兆候だとおもいます。   作品『トカトントン』
     好きだから特筆したのか、嫌いだったからなのかは、わかりません。しかし、想像を逞しくすれば、天才ゆえ
     に、宮廷音楽家だったアントニオ・サリエリに嫉妬され自滅していったモーツァルトの境遇にも酷似する太宰
     治。その先鋭的な才能を文壇や師と仰ぐ先輩作家に批判され続け苦悩したことは有名で、そのことを作品にも
     さんざん書き残していますから、モーツァルトの曲をこよなく愛したのかもしれません。
   □なぜ、私が、うれしかったか。
    おわかりにならなかったら、・・・「殴る」わよ。   作品『斜陽』
     太宰は、女性以上に、女の立ち振る舞いから心理までを知り尽くした作家です。グチグチと愚痴っぽい女も
     登場させる一方で、思い切りもよく、いざという時は、運命を受け入れてしっかりと生きて行く女性像を描い
     て巧みでした。しかも、どちらのタイプも太宰自身の分身だとも言われておます。
     ある時は自らが女性に変化し、ある時は男として、自分の好みの女たちを創り出して対峙させたりと、ハンサ
     ム・ウーマンの魅力を、いち早く表現していた斬新な感覚が、今、私たちの心をわしづかみです。
   □女に惚れられようとしたら、顔でも駄目だ。金でも駄目だ。
    気持ちだよ、「心」だよ。    作品『親友交歓』
    「あなたを見ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。・・・いつも、おどおどし
    ていて、それでいて、滑稽家なんだもの。・・・時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、そのさまが、
    いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。」(『人間失格』)
    心がかゆくなったら、それはもう、恋なのです。
   □ああ、やっぱり、愛は「言葉」だ。    作品『創生期』
    見返りを求めない愛ある言葉を、男と女の間でキャッチボールできたなら、どんなにか毎日がバラ色になり、平
    和になることか、切に願って人生を送ったであろう太宰治。愛を求め、愛に生きたい私たち。
    数十年前に、すでにその思いを抱いて生きていた太宰は、愛のオピニオン・リーダーとして、今の時代に生きて
    いる。生かされている。そう思えてなりません。
   □どうも、「男」から見ていやなやつほど、女に好かれるようだ。   作品『パンドラの匣(はこ)』
    僕なんかとつきあうと、不幸になるよ。と面と向かって言われたら女たるものググッときませんか?どんなこと
    になるのか、冒険してみたいと思うのが女の心理。そんな好奇心を膨らませ、恋の予感を待ち受けているのが女
    という生き物。そんなふうに、女の心を読むことができる男がモテるのは当然です。それにしても、こんな台詞
    を吐く男は、確かに男にとって嫌味な男そのもの。だってこんなこと、普通の男は一生かかっても、絶対に言え
    ないからです。

     *ちょいワルで魅力的な美男子をめざした太宰治が描く不良は、抗しがたいオーラに包まれている。絶世の
      美男、アラン・ドロンが映画で演じた数々のワルな男は、カリスマ的存在。憎むどころか、恋するのが
      女心。

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 

読書 あれこれ その226

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 7月19日(水)17時22分36秒
返信・引用
      「思い通りにいかないから人生は面白い」  曽野 綾子著
  ○選択は、その人の勇気の証
   宮城県の南三陸町で、津波が押し寄せる中、防災対策庁舎の職場に残り、防災無線で町民に避難を呼びかけ続けて
   亡くなった女性がいらしたそうですね。まだ二十四歳だったそうです。他にも数多くの人が、自分の身を挺して
   人命を救助した。やはり、そういう美学が日本人にも内蔵されていたのでしょうね。
   普段から非常時を想定して、自分はどう対処するだろう、と考えたほうがいいと思います。自分の命を投げ出して
   人を助けることができるだろうか、それとも、自分は最後まで卑怯者の生涯を選ぶのだろうか、と。
   そのようなことを考える機会がなく、必要もないとする時代が、私たちの体の中に仕組まれた人間性を育てなかっ
   たのですから。
  ○美学を持っていないと、常識に飲み込まれる
   私は、自分を少し賢くしてくれるものを愛しているんです。人生の深い知恵を持っている人に会い、人生を見抜いて
   いるような言葉を聞く時、私はとても得したような気になりますから。
   そういう意味でも、本を読まないというのは、損なことですね。本を読めば、古今東西の先人たちの知恵に触れら
   れて、それを始終自分で考えたことみたいに「盗用」して生きられるのに、最近は、読書をしない人が多いでしょう。
   そういう人は、人生を損しているんです。
   そして、自分にとって何を「美」と感じるかは、自分で生き方を選び取ることに通じるんですね。その精神は、少し
   ばかり頑固なほうがいいですね。誰かに理解されなかろうと、どんなふうに思われようと、庶民にとっては大した
   ことないんです。自分がいいと信じることを、最終的には静かに命の尽きるまでやる。それが、「人間の美」と
   いうものだと私は思います。
  ○人とは違う運命を甘受する
   これは負け犬の論理かもしれませんが、人間の勝ち負けというのは、そんなに単純なものではありません。私たち
   が体験する人生は、何が勝ちで、何が負けなのか、その時々にはわからないことだらけです。数年、数十年が経って
   みて、もう死の間際まできて、やっとその答えが出るものも多い。永遠に答えが出ないことだってあるでしょう。
   楽観主義者だと言われればそうですが、私はうまくいかない時はいつも神さまから「お前は別の道を行きなさい」
   という指示があったと思うんですね。だから運が悪い場合はそこでぐずぐず悩むのではなくて、運命をやんわり
   受け入れられる心理でいたい。そして、次の運命に協力的になる。自分で望んだわけではないけれど、それによって
   神さまは私に何をご期待ですか?と考えるわけですね。そうすると、たいてい運命が開けてくるものです。
  ○生き延びる才覚を磨く
   予定が狂って、慌てふためいて修正するというのが、私は好きなんですね。それでこそ人間らしいでしょう。変化
   があるのが人生で、決してものごとは思った通りにいかないのですから、予定がはずれた時に、修正できる力を
   養っておかないといけません。その基本は、私がいつも言うように、どんなところでも、無一文でも、何とかして
   自分で生き延びられること。要するに、サバイバルの力が必要なのです。
   私など、いざとなったら、水洗トイレに溜まった水でも飲めます。便器の水は、確かに不潔かもしれないけれど、
   生きるか死ぬかの時は、しょうがない。一度にたくさんではなく少しずつ飲めば、胃酸でちゃんと殺菌できますか
   ら、私はそうやって生き延びるでしょうね。
   私のように普通の老人だったら、少なくとも最後まで自分の生きることだけは何とかするということを目安に、
   自分を鍛え続けないといけません。妻が先に死ぬかもしれないのに、炊事一つできない男などというのは、かなり
   問題です。
   高級なことはしなくてもいいですから、自分でご飯を炊いて食べられ、身のまわりをちょっと片付けたり、洗濯し
   たりすることができる。その程度のことができなければ、人間を保つことはできないと思います。

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 

読書 あれこれ その225

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 7月 8日(土)11時32分34秒
返信・引用
       「老いてこそ遊べ」  遠藤 周作著
   ○何一つ無駄ではなかった
    『沈黙』とか『イエスの生涯』を書いた遠藤周作と、芝居やダンスやコーラスを仲間たちとやったり、その
    大きな組織や劇団を作る狐狸庵とはどういう関係になっているか、ふしぎに思われる読者がいるのだが、事情
    は複雑でも何でもない。
    私は、プロ野球も見ず、ミュージカルの『キャッツ』も味わえず、碁も知らず、ピアノも弾けない人間にな
    りたくないのである。と同時に競馬や競輪やマージャンには通じているが知的、精神的なものには好奇心が
    まったく欠如している遊び人にもなりたくないのである。そしておこがましいが、自分のなかのこれら複数
    好奇心のチャンネルを同時にまわし、その音をききながら生きようと思ってきた。
   ○老いがもたらす功徳
    私はこの頃、いささか老年を享受する心境が僅かながら持てるようになった。つまりこれを最大限に利用、
    活用して、楽しみを大いに楽しみ、労力のかかるものは御免いただき、そしてまあ、この社会のなかで皆に
    嫌われない老人の役割を演じることを考えだしたのである。
    若い頃、敬遠していた漢詩や仏教の本を少しは理解できるようになったのも老年のおかげである。
    モンテーニュの本なども久しぶりに開いてみると、若い頃とは違った味をそこから発見できるのも老年のお
    かげである。
   ○長寿は幸福か?
    長寿であることは幸福であることか――私は老人を見るたびに考えこんでしまう。
    老人には若い者のわからぬ孤独感や寂しさがにじんでいる。あの孤独感に耐えながら生きつづけるのは倖せ
    なのか、私には確信をもって言えない。若い者たちに迷惑をかけず、嫌がられず、きたならしく思われずに
    長寿を保つことはむつかしい。医学は生理的肉体にしか関心がないから、老人の心理や寂しさや孤独までは
    考えず、平均寿命が七十五歳をすぎた、八十歳をすぎたと悦んでいる。
    しかし本人にとってそれが手放しで悦んでいいことか私にはわからない。
    若い者たちに迷惑をかけず、嫌がられず、きたならしく思われぬうちに世を去るほうがひょっとしたら倖せ
    なのかもしれない。
   ○我々の会食
    大学時代、特に親しかった友人が二人いる。一人は母校の教授になり、もう一人は会社の重役である。
    この二人がそれぞれ大学や会社でどんな権威と威厳ある顔をしているのか私は知らない。だが――
    三人の集まりの日はちがう。まるで女性と食事を共にするように(今の私にはもうそんな幸運はめったにな
    くなってしまったが)はずんだ気持ちで待つのである。そしてその気持ちはどうやら向こうも同じらしい。
    なぜか、と話しあったことがある。そして結局、次のような結論に達した。つまり三人だけだとおたがい
    飾ったり、気どったり、色々、気をつかったり、さまざまの思惑を底にひめて会話を交わすようなことを
    全くしなくていい。
    その気楽さに加えて次の二つの要素がある。ひとつは共通した思い出や体験があること。そして同じ年齢で
    あること。この二要素がやはりものを言っていると思う。
   ○人生の夕映え穏やかに
    通路ひとつ隔てて年齢七十歳ぐらいの老夫婦が食事をしている。夫婦で久しぶりに個人的な旅をなさるので
    あろう。
    というのは時々みせる奥さんの実に幸福そうな一人笑いから、これはシルバー旅行だと見ぬいたのである。
    白髪の奥さんは首飾りをして、ご主人はスーツである。日本の夫婦の常として食事中、あまり物を言わない。
    私はひそかに懐中時計をテーブルにおいて観察していたら、大体、四十秒に一回、ひと言か、ふた言の会話
    がかわされていた。
    だからと言ってこの夫婦が不仲なのではない。ペチャクチャしゃべらずとも、無言でわかり合うから、しゃ

    べらないのだろう。第一、毎日、顔つき合わせている夫婦にそんなに話す材料がある筈はない。
    それだけに、久しぶりで行う老夫婦だけの水入らずの旅(用があっての旅ではなく、純粋に二人だけの旅)は
    おそらく新婚旅行以後、はじめてではないのか。

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 

読書 あれこれ その224

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 7月 3日(月)20時58分30秒
返信・引用
         「死に支度」   瀬戸内 寂聴著
    はじめの頃は、車椅子に乗るのが恥ずかしかったのに、今ではすっかり馴れて、新幹線の駅でも平気になって
   いる。ただし、空港と駅と、広いホテル以外は、ほとんど使わない。八十八歳で圧迫骨折のため五カ月寝こんで
   以来、足がすっかり駄目になってしまった。それでも東日本の震災と津波と原発事故以来、ショックで無理にも
   立ち上がったからか、人がびっくりするほど快復が早かった。

   「どうしてこんなにスケジュールがびっしりなのよ。これが九十一の婆さんのスケジュールかよ」と私がプンプン
   する度、モナ(付き添い)が怖い顔になって言い返す。「誰がこんなスケジュールにしたのですか、この対談も、
   講演も、この原稿も、あたしが決めたもの一つもありませんよ。みんなセンセが、これ行ってやらなくちゃとか、
   あ、これ書いてやんないとこの人困るでしょとかって、みいんな、せっかく断ってるのに、引き受け直したもの
   ばっかりなんですよ。・・・・・」

   今度正月を迎えたら、数え年で私は九十三歳になる。自分が九十三歳まで長生きするとは、予想したことなど、
   夢にもなかった。
   いや、こうして生きている毎日こそが、すでに死に支度にくりこまれているのだ。書くことも、人に逢うことも
   、法話をすることも、食べることさえ、まさに死に支度に入っているのだと思い定めると、妙に心が晴れやかに
   なり、すっきりしてきた。

   源氏物語の完成後、日本国内はもちろん、アメリカ、フランス、ドイツまで講演に駆け廻った。国内の各地で展

   覧会もつづき、私は休む閑もなかった。達成感の昂揚と骨身にしみた過労を持て余している時、婦人雑誌から、
   グラビアつきで春の四国巡礼に行ってくれないかという話が持ちこまれた。・・・私は一も二もなく承諾した。

   冗談ではなく、今年くらいで私の定命もついに終わりになってくれるのかと、真剣に考える。何はともあれ、寂
   庵と寂聴庵にあふれている本と資料の片づけをして、身のまわり一切をきれいに断捨離して、四十年前、出家し
   た時のように身ひとつになるべきだと決める。
   九十年余りのこの世の生活は、私なりにいつでも全身全霊で、捨身で生きて来たから、思い残すことはないのよ。
   他人は私に、あの頃はずいぶん苦労しましたねなんて言ってくれるけど、私はあの頃っていつのことかと思って、
   きょとんとしている。無我夢中でいつでも精一杯一生懸命に体を張って生きてきたから、人のいうあの頃の苦労
   なんて思い当たらないの。いつでも生きた、書いた、恋したの生涯で、支えてくれたのは自分の情熱ひとつだっ
   たから、ほんとにかっこいい一生だったと思っている。

   食欲も睡眠欲も、飲酒欲も一向に衰えないのが不可解だが、朝目覚めた時は、いっそ目が覚めず、誰にも気づか
   れずひっそりと昨夜の眠りの中で死んでいたらよかったのにと、本気で思う。

   先生はいつも少し酔っぱらうと、「もうこの世でしたいことはみんなしてしまった。見るべきものは見つって心
   鏡よ。出家は生きながら死ぬことだから、ほんとはもう私は死んでるのよ。この世にいるのは、出家者の義務が
   残っているからなのよ。それからもう私の力せい一杯は果たしたような気がする。あっちの方がずっと愉しそう」
   なんてぐちる。

   モナ、改まって告げます。本気で聴いて。私は「死に支度」を今月でやめます、丁度一年間、十二カ月書きまし
   た。どうやらまだ死にそうもなく、それでいて、今後死んでも何の不思議もない私に愛想をつかして、「死に
   支度」なんて、小説の中でも、実生活の中でもやめようと決めました。
   私の「死」に対する理想的時期は、九十三歳なのです。・・・・・

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 

市民集会のお知らせ

 投稿者:いっちゃん  投稿日:2017年 7月 1日(土)18時40分15秒
返信・引用 編集済
  市民集会
【あらためて、いわゆる共謀罪(テロ等準備罪)法がもたらす社会を考える】



日時 2017年(平成29年)7月6日(木)
  開場:午後6時
  開演:午後6時30分
場所 和歌山ビッグ愛 1F 大ホール
    和歌山市手平2丁目1-2
●入場無料●予約不要

主催 和歌山弁護士会
共催 日本弁護士連合会、近畿弁護士会連合会
講師 髙山 佳奈子 先生
プロフィール
京都大学大学院法学研究科 教授
東京大学大学院法学政治学研究科卒。東京大学助手、成城大学法学部助教授、京都大学大学院法学研究科助教授を経て、現職。
刑法総論の基礎理論、経済刑法、国際刑法を主な研究対象としている。
主な著作に、「故意と違法性の意識(1991)」、「共謀罪の何が問題か(2017)」などがある。

お問い合わせ(和歌山弁護士会)
〒640-8144 和歌山市四番丁5番地
TEL.073-422-4580 FAX.073-436-5322
 

読書 あれこれ その223

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2017年 6月27日(火)17時36分19秒
返信・引用
         「人生という花」  小檜山 博著
    はじめに
     花にまつわる話がよくもまあこんなにあったのかと驚かされる。理解できないタイトルがいくつかあるが
     なるほどという作品もあり心豊かになる新刊。(二〇一七年四月発行)
   「鳥語花香」
    鳥語花香とは春のうららかな情景をさしているわけだが、北海道の春は毎年、うららかでないことはない。
    間もなく庭のエドムラサキツツジや桜やリンゴ、スモモやグミが咲き、裏山にヤマザクラ、道ばたにツクシ
    やタンポポ、近くの小川にミズバショウが咲く。青空や森にヒヨドリやヤマバト、ウグイスやアカゲラや
    カッコウ、ヒバリの声が満ちて北海道の春が炸裂するのである。
   「月に叢雲(むらくも)花に風」
    月に叢雲花に風は、良いことには、ややもすると邪魔が入る、という意味だという。人間が妬みなどいやら
    しい面をもったことは仕方ないわけで、かくなるうえはそれをうまく操って他人に見せないよう隠し、己の
    活力に変えるべきなのだろう。だが、情けないかな、ぼくにはそんな立派な芸当はできそうもない。
   「雪月風花」
    雪月風花とは四季の自然の景観のことで、転じて風流の生活をいうそうである。ぼくはいま、年を重ねるこ
    とで欲が消えてゆく喜びを実感しつつ、いつ死んでも仕方ないと自分に言い聞かせながら畑を耕し旅をし、
    妻ともめないようにし、いい本を読み、うまい物を食べ、うまい酒を飲み、歌をうたい、静かにものを書い
    ている。
    この程度の、まことに質素で貧弱な生活だが、自分では風流な暮らしと思って幸福である。
   「花道」
    さて小説家だが、劣等感まみれで猜疑(さいぎ)心が強くて嫉妬深い物書きに、花道などあるはずもない。
    みな道中で挫折するか、良くて泥道、茨道を這いずって死んでゆく。物書きは哀れである。
    しかし考えてみれば、どの人間も人生を懸命に働き、社会とかかわり、友情をはぐくみ、家族と暮らして
    生きてゆくのである。無名であろうと貧しかろうと、必死に生きて花道がないはずはない。つまり、一生を
    生きるすべての人が花道を通る、と考えたい。
   「沈魚落雁閉月羞花」
    沈魚落雁閉月羞花とは美人の形容で、あまりの美しさに魚は恥じて沈んで隠れ、雁は見とれて落ち、月は
    雲に隠れ花は恥じらってしぼんでしまうという意味だそうだ。なんとも凄い譬(たと)えだが、欲望まみ
    れの人間にこんな人がいるとは考えにくい。
    美女を顔や姿だけでなく心のありようや言葉づかい、他人への思いやりや優しさや立居振る舞い、知性、
    教養も含めて見たいなどと、やけっぱちになって理想を口にするぼくは見苦しい。だが一度でいいから、
    こういう女性を見てみたいとは思う。
   「花の下の半日の客、月の前の一夜の友」
    花の下の半日の客、月の前の一夜の友とは、花の下でわずかな時間いっしょに過ごした相手や、月を見な
    がら盃を交わした友をなつかしく思うという意味だそうだ。つまり同じ風趣の人は、ちょっとの付き合い
    でも心やすく思うというわけだ。
    中上健次との付き合いは十一年と短かったが、ぼくの記憶の中で濃密である。とくに彼がススキノでカスミ
    草を見つめていた光景は、ぼくの脳裏から消えない。
   「石峰の花」
    石峰の花は、石の多い山に花が咲くのは珍しいように、きわめて少ないことのたとえという。
    乗物で席を譲る率はアメリカ人が五十一%、イギリス人はもっと高く六十三%が老人などに席を譲る。そし
    て日本人はなんと、たったの十九%しか席を譲らない。十年ほど前の数字だが、今の日本はもっと低い気が
    する。この見苦しさは、ただごとではない。
   「花多ければ実少なし」
    花多ければ実少なしは、表面を飾って自分をよく見せようとする人は中身はたいしたことがない、という
    意味だそうで、かってのぼくの姿である。
    忙しいことはそれぞれの事情で仕方ないと思う。しかしぼくの場合、忙しいことが他人からうらやましく
    思われるみたいに錯覚し、多忙をそのための表面を飾る材料にしていた気がし、自分の浅はかさを深く恥
    じる。
   「言の葉の花」
    言の葉の花とは言葉の花で、美しい表現の言葉、真心のこもった言葉のこと。
    最近また一つ知った。ある人が亡くなったとき知人が「きれいに仕舞われましたねぇ」と言ったのだ。亡く
    なったとか死んだという言い方でなく、一生をきれいにやり終えた、しとどけたという意味の「仕舞う」と
    いう表現の見事さに、ぼくは唸った。人生は言葉だ。
   後記
    花という言葉のついたこの百五篇は、ぼくが生きてきた夢、惑い、苦しみと哀しみ、感動、喜びの道程である。
    したがってこれらはどれも、はだはだ閉口する光景ではあるが、まぎれもなくぼくの生きざまで、仕方ない。
                                   (小檜山博)

http://   「死はこわくない」   立花 隆著

 

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