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読書あれこれ その311

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年10月16日(水)17時53分44秒
返信・引用
           「曇り、ときどき輝く」  鎌田 實著
  〇世界が尊敬する日本人指揮者
   二〇一五年は、FCT郡山少年少女合唱団の子どもたちを松本に招待した。さらに、ある男に声をかけた。男の名は、
   柳澤寿男。旧ユーゴスラビアを中心に活躍している指揮者だ。
   今、この世界は分厚い雲に覆われている。でも、へこんでなんかいられない。どんなにひどい雨でも雪でも台風でも、
   また必ず太陽は昇る。こんな曇天の時代だからこそ、不条理の中で生きぬく福島の子どもたちに一条の光を見せてあ
   げたい。僕はいつも、ダメモトで直球勝負。開かない扉はないと信じてノックする。
   幸い、このときはすぐにOKしてもらえた。
  〇自分の存在意識を見つけろ
   ずっと曇り空だったラグビー界全体に、「やればできる」という空気を植えつけた。すごい人だ。エディー(=エディ
   -・ジョーンズ)いわく、「日本人はもっとアクティブになったほうがいい」。日常生活でもっと体を動かし、もっと
   挑戦的な生き方をしてほしいとも言う。ラグビーだけの話ではない。個人レベルに限ったことでもない。日本という
   国がこれから世界の中で輝いていくためには、もっと「アクティブ」になること、「ユニーク」であることが大事だ、
   と言い残したかったのかもしれない。
  〇使えるものはすべて使い、全力で生きる
   「また来てくれよ」という彼の言葉に、僕は「うん」と頷いた。その約束を果たさなければ・・・・。
   ずっとそう思いながら、東北には何度も支援に行っていたものの、なかなか大島まで足を延ばせずにいた。
   菅原さんとひまわり(船名)に再会できたのは、二〇一七年の二月三日。その日、まず岩手県の大船渡市を訪ねた。
   「被災地で地域包括ケアをどうつくるか」という講演をするためだ。
   演歌歌手、神野美伽さんの応援コンサート付きで、参加費は無料。千二百名を超える応募があった。僕の話に笑って
   泣いて、神野さんの歌でエンパワーされて、最後は満員のお客さんが総立ち。歌に合わせて踊り出す人もいた。
  〇何があろうと、人間は簡単には負けない
   ・・・そのわずか数カ月後、一緒に福島までボランティアに行きましたね。大地震と津波と原発事故で生きる希望を
   失いかけている被災者を励ますイベントでした。
   会場に着くや、永(=永六輔)さんは、プログラムを無視して突然舞台に上がり、「マケナイ、マケナイッ!」と
   叫びました。それから、やおら短いタオルを取り出し、「頭にも巻けない、首にも巻けない。人間は簡単に負けない
   !」このとき、あなたは車いす。車いすでタオルを振り回し、叫ぶ姿は、すごくカッコよかったです。入院中にイン
   ドネシア人介護士が『上を向いて歩こう』を歌ったという例の笑い話も披露してくれました。そうして被災者を喜ば
   せ、心をジーンと揺さぶったのです。
  〇これで人生、終わった
   佐藤さんは、自分が認知症だと伝えた途端、周囲の対応が違ってくることに気づいた。病院でさえ、検査のとき通常
   ならされるはずの説明をしてもらえなかったりする。認知症でも人それぞれ。症状や理解力が異なるのに、話しても
   わからないと決めつけているのだ。
   もう一つの偏見は、自分の中にあるという。社会の偏見にさらされているうちに、本人も「自分は何もできない存在
   だ」と思い込んでしまう。どんどん無気力になっていく。
 
 

読書あれこれ その310

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年10月 3日(木)21時23分21秒
返信・引用
  「平凡」角田 光代著
  はじめに
   六篇のうち[平凡]を紹介します。
  [平凡]
    榎本春花は宮本紀美子、旧姓小野田紀美子の、中学高校の同級生だった。
   私、高校を出たらいち早く結婚してこどもを産んで、大家族を作るの、と春花が言ったのは、林間学校のベッドか、
   それとも東京行きの列車のなかか、紀美子は覚えていない。だれと結婚するの、と訊くと、そんなの、これからさ
   がすのに決まってるよ、と春花は真顔で言った。どういう人が好きなの?と重ねて訊くと、まっとうな結婚生活を
   送れそうな人だ、と春花は答えた。

   榎本春花は地元で結婚のできそうな人と結婚せず東京にいったし、紀美子は夢想したような羽目に陥らなかったば
   かりか、今や地元を遠く離れて、まったく縁のない、未だに何県か忘れられてしまうような地方都市に住んでいる。

   最初に雑誌の写真で見たときは、高校時代の春花の面影が濃く残っていたけれど、表紙で笑う春花はいきなり垢抜
   けて、知らない人みたいになっていた。テレビに出はじめたのは五年くらい前。ちょうど、紀美子が三十歳になった
   ころだ。
   ほかにも料理研究家はたくさんいる。次々登場する。そんななかで、春花の人気が落ちないのはなぜだろうと紀美子
   は考えたことがある。なぜそんなことを考えているのかわからないながら、それでも出した結論は、キャラクター、
   だった。

   「あ、キミちゃーん。やーだー、すぐわかった」と、春花が駆け寄ってきたとき、「あっ、ひさ、ひさしぶり!
   に、荷物持とうか、車、車あるの」と裏返ったような声で矢継ぎ早に言った。名を呼ばなかったには、なんて呼ん
   でいいのかわからなかったからだ。けれど春花はそんな紀美子の緊張を察することなく、きょろきょろと駅の構内
   を見まわし、「なんかさむーい。ねえねえ、お茶飲むところある?まずお茶飲まない?へーえ、駅舎なんてあるん
   だね、ストーブとかなつかしい感じ!っていうかカフェなんかある?ないかしら」矢継ぎ早に言う。・・・・・

   「確かめたいのよ、松山大介があの松山大介か」「えっ」紀美子は言い、「えっ」もう一度、言った。
   「そうなんじゃないの?」「だから、言ったじゃない。昔恋愛していた人と、同姓同名だって。その人っていう
   保証はないから知りたいの」

   紀美子ははっとする。春花の活躍を見れば見るほど、自分がそのぶん地味で不幸であるかのように思っていたこと
   に、初めて気づく。関係ないのに。春花の暮らしと、私の暮らしと、あの一点で別れていった二つの人生は、まる
   で関係なんか、ないのに。いや、そもそもあの一点というのも錯覚かもしれなかった。・・・・・

   「そこまでじゃないって思ったって言ったでしょう、さっき。そこまで望んでいないって。そしたら、ハルちゃん、
   どこまで望んでいたの、どこまでの不幸ならよかったの」
      へんな質問だと言いながら思ったが、春花は笑わず、数秒目を宙に泳がせて考え、「平凡」と答えた。「え」
   「ど平凡」春花はくり返し、にっと笑った。「腐るくらいのど平凡が不幸って、なんとなく思ってたけど、それ
   も違ったね。だって私、ほんものの松山大介がどこかできっと平凡に生きているって今日知って、心から安心した
   んだもん」「平凡じゃないかもしれないよ、波瀾万丈かも」・・・・・
 

読書あれこれ その309

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年 9月22日(日)13時33分6秒
返信・引用
            「ある男」  平野 啓一郎著
     毎朝、このバスセンターの待合室に座って、宮崎市行きのバスを待っていたあの頃、自分が将来、横浜で
    就職して結婚生活を送り、二人授かった子供のうち、一人を早々に失って、離婚してまたこの町に戻ってくる
    ことなど、夢にも思っていなかった。

    結婚後、大祐は里枝の実家に住み、二人の間には女の子が一人生まれ、「花」と名づけられた。大祐が山で
    事故に逢ったのは、長男の悠人が十二歳、花が三歳の時だった。

    「とにかく、あなたに何かヘンな企みがあるとかじゃないんだったら、・・・気の毒ですけれど、あなた、
    この人に欺されたんですよ。コイツは、僕の弟じゃないですから。誰かが大祐になりすましてたんですよ。」
    「どういうことですか?じゃあ、誰なんですか?」里枝は険しい面持ちで問い質した。
    「知りませんよ、僕も。今初めて写真見たんだから。・・・とにかく、警察に行くしかないでしょう。詐欺
    かなんかじゃないですか?」

    ところが、電話をもらって話をしてみると、再婚相手はすでに亡くなっているらしく、しかも、「谷口大祐」
    という名のその夫は、死後、別人と判明したのだという。つまり、何者かが「谷口大祐」という人物になりす
    まして里枝と結婚生活を営み、子供まで儲けていたのである。
    「谷口大祐」は、単なる偽名というのではなく、戸籍上、実在する人物らしい。
    そんな話があるのだろうかと、城戸は疑った。名前を偽って、身元を隠すくらいのことは、別段珍しくない
    だろう。彼は、高校時代に日本国籍に帰化した在日三世なので、本名を伏せたい人の事情は、多少は理解し
    ていた。
    しかし、架空の誰かではなく、実在の他人になりすますというのは穏やかではなかった。それも、ただ勝手に
    名乗っていたのではなく、婚姻届けも死亡届も出していて、その都度、役所は戸籍により、彼の法的な同一性
    を確認しているのである。運転免許証も健康保険証もあり、それで運転し、病院にかかり、年金も滞りなく
    支払っていた。あらゆる公文書が、死んだその男が「谷口大祐」であることを証明していて、群馬県の実家に
    ついて語った本人の過去も、矛盾ないらしい。それでも、顔は違っていて、一周忌後に訪ねてきた谷口大祐の
    実兄が、写真を見て、絶対に弟ではないと言い張っている、というのである。
    ――1体全体、どういうことなのだろうか?・・・・
 

読書あれこれ その308

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年 9月 5日(木)12時10分27秒
返信・引用
        「幸せは97%で」  岸本 葉子著
  〇谷間の百合
   海外からの旅行者数を制限し、鎖国に近い体制をとっていた頃行きました。十数年前、今の国王のお父さんの
   治世です。ブータンの国づくりの方針として有名になった「国民総生産より国民総幸福を」は当時から。
   首都のチィンプーには信号がなく、往来に犬が寝ていて、その両側に木の柱を持つ伝統様式の家々が建っている
   のでした。私たちが親近感を抱いてやまないのは、日本のどてらの形や色に酷似した、民族衣装でしょう。
   川柳   -男雛女雛の国王夫妻ー
   国王夫妻を男雛女雛に喩えたのも、ひとつにはそのコスチュームゆえ。しかも挨拶は、お辞儀なのです。主食は
   お米。棚田の中を、どてらのような服を着た子どもたちが駆け回る風景は、「ヒマラヤのただ中に、なんで私の
   ふるさとが?」と既視感に似たとまどいをおぼえるほど。そして何と言っても顔つきが、日本人そっくり。
  〇4年に一度
   老親には優しくせねばと、改めて思います。認知機能の衰えについて書かれた本に、こんな内容がありました。
      当人としては、覚えのあることを、していないと言われ、覚えのないことを、したと言われる。こんな不安なこと
   があるだろうかと。
   自分もやがてそうなります。案外早く、その時が訪れるかもしれません。私は誰にケアを受けるか分からないけれ
   ど、今していることは、回り回るのだと心して、老親に接しよう。心がけを改めさせてくれた点では、「失敗」も
   意味があったかも。←いつもの、強引に都合よく解する、無理やりポジティブシンキング。
   今日は2月29日。うるう年にしかない日付。しかも大雪。窓から見る家々の屋根は、綿帽子をかぶっています。
   庭の木々も。
  〇忘れていない
   生活再建、経済再建、地域社会の再建など、復興の課題が深化すればするほど、手出しできないように思えてしま
   う。そんな気持ちを抱えつつ、2年目のこの日、いつもどおりパソコンに向かい、仕立て屋さんで服を受け取りな
   どしている私は、「震災を忘れている」姿であり、風化をおそれる人々を失望させるでしょう。
   何が「忘れない」ことなのか。昨秋行ったボランティアに再び行くか。自分の疑問の解消のために参加するのは
   後ろめたいが、体を動かしているときは「震災を忘れている」姿でなくなることができそうで。
   前向きにならないといけないときに、堂々巡りですみません。
   ブログを更新すべくネット画面を開いたら、トップページにこうあった。「2013年3月11日 東日本大震災
   から2年。3年目の復興へ」。
   そう、発信するなら、これくらいの文章を書かねば。活を入れられた思いです。
   問いの立て方が間違っていた。なにが「忘れない」ことか、ではなく、「3年目の復興のため何ができるか」。こっ
   ちでした。
   
 

読書あれこれ その307

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年 8月26日(月)21時13分25秒
返信・引用
                  「わたしの神様」  小島 慶子著
    かっての復讐をするかのように、(立浪)望美は女子アナたちを見下した。ほんと、嫌になるわ。顔しか能のない
   バカ女たち。佐野(アリサ)なんて、英語も喋れないくせに中途半端なガイジンなもんだから、厄介よね。あんなに
   地味じゃ使いようがないわよ。せめてオヤジ転がしのセクシーニュースでもやってくれたら数字がとれるのにさ。

   「6月から佐野が産休に入るので、後継キャスターに仁和まなみを起用する」毎週恒例の会議でプロデューサーの
   藤村がそう発表したとき、若手のスタッフの中にはおっ、という顔をして目配せをする者たちもいた。まなみは
   スタッフ受けがいい。・・・・・
   ”超人気アナの華麗なる転身と話題を呼んだテレビ太陽の仁和まなみ(27)のキャスターデビューは、残念な結果
   となった。同局の週末ニュース「ウィークエンド6」のリニューアル初回は、前週プラス0,5のわずか3,4%と
   いう、なんともお粗末な視聴率。看板アナを担ぎ出しての延命措置も、功を奏さなかったというわけだ。

   あんなにご執心なんて、何かあったんじゃないだろうかと勘ぐる声もある。政治部の若きスター記者だった望美が
   男性記者のやっかみを食らって夕方ニュースの地味なミニコーナーのディレクターに異動になったときに、長谷川が
   番組プロデューサーとしてずいぶんと面倒を見たのだという。

   「作家の青山って、こないだ賞をとったあの青山夏樹か?」「はい」答えながら、まなみは藤村の反応を窺った。作家
   と聞いて、驚いただろうか。端整な容姿、裕福な実家、誰もが認める才能。何誌もの雑誌の表紙を飾る時代の寵児、
   青山夏樹。そんな人気作家の欲望を独り占めしているのが、仁和まなみなのだ。

   裕子(村上邦彦=アリサの夫の同僚)はシャワーを浴びている邦彦の携帯電話を盗み見て、アリサのメールを読んだ
   のだ。上司の村上邦彦と初めて寝たのは、彼がまだ独身の頃だ。眼鼻立ちはくっきりしているが鈍重な感じのする
   邦彦は裕子の好みではなかったが、自分と同期の女子アナ・佐野アリサと付きあっていると聞いて、興味を持った。

   ”日本中の男が悶絶したあの衝撃のフルヌード!奇跡のボディで男を虜にする仁和まなみを射止めたなんとも羨ましい
   人物は、医療法人・Q会の会長・平木幸三郎氏の次男・平木淳氏(32)。東大医学部卒で、アメリカで先端医療を
   学んで帰国したばかりという、気鋭のイケメンドクターだ”

   望美の隣に座っているアリサは、望美の失態をいい気味だと思う気持ちと、自分の復帰の場を失ったことへの不安と
   で心中複雑だった。これで注目されたら、またキャスターの声がかかると思ったのに。

   傷ついているのだろうか。私たちみんな。アリサのすすり泣きを聞きながら、望美は仁和まなみの自信に満ちた笑顔
   を思い出していた。あの子にもそんな夜があるのだろうか。一人きりで、膝を抱えて泣く夜が。
   初めてまなみを知りたいと思った自分に、望美は密かに驚いていた。・・・・・
   「平木くん、私よく知っているの」望美の言葉に、まなみは驚いて顔を上げた。「彼、ひどいでしょ。昔からなのよ」
   「・・・・」「つき合ってたの。大学で知り合って。もう10年近く前のことだけどね。私もやられた。別れたあと
   も、しつこく嫌がらせをされたわ・・・そんな人に見えないわよね。あとになって、あれはDVだったんだって気が
   ついたの。・・・・あの男とは関わらない方がいい。あなたも、もうわかっているでしょう?」
       まなみは膝に置いた手に光る指輪を眺めて黙っている。・・・・・
 

読書あれこれ その306

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年 8月17日(土)17時25分43秒
返信・引用
            「謝罪力」  竹中 功著
       仕事でも家庭でも「問題解決」に役立つ本
  *私が提唱する「よい謝罪」とは、マニュアル的な作法や事務的な補償の計算法などとは異なるものだ。まず「謝罪」
   の定義は「被害者が抱える怒りを加害者が受け止め、誠意といたわりの気持ちをもって事実関係や原因、反省の気持
   ちを伝えることで、被害者に心を落ち着かせてもらうこと。弁償や補償が必要になることもあるが、それは『処置』
   であって、謝罪の本筋ではない。謝罪とはあくまで『心の問題』である」(拙書『よい謝罪』より)。
   大切なのは、被害者とその怒りに正対すること。まず相手の怒りの原因とそれが生じた経緯を明らかにし、反省し、
   謝り、再発防止策を示して、相手の許しを得る。でき得るならば、それまでよりも良い関係を築ければ素晴らしい。
   それを実現するために、できることならば、全部やる。その一連の取り組みが「謝罪」だ。つまり、謝罪とは「コ
   ミュニケーション」であり「リスクマネージメント」なのだ。謝罪について知ることは、他者とのコミュニケート
   する力を高め、事前にリスクを回避する助けにもなる。謝罪しないでいい状態を作れれば、それに越したことはない。
   それを目指すのが「竹中式よい謝罪」だと言える。

  *「謝罪」が必要になったら、私なら、まず電話で詫びて、今すぐに謝りに行くことを伝える。そして直接お会いでき
   て、謝罪が上手く済んだら、様子によって「謝罪文」を手渡しに行くか郵送すると考える。
   というのは「謝罪文」とは決して許しを請うためのものではなくて、社内に提出した「始末書」のようにトラブルの
   一部始終を明らかにして、反省して、再発させないことを誓約して、形あるものとして残すのが目的であるからだ。
   「謝罪文」が必要になったということは、もう「謝罪」が受け入れられ「理解」されている状態であると言える。
   なお、対話重視の竹中式ではあるが、その対話が上手く進まなくなった時、コミュニケーション方法を手紙に変える
   という手はアリだろう。やり取りのペースが良い意味で落ち着き、より冷静なやり取りが期待できる。
 

読書あれこれ その305

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年 8月 6日(火)08時34分13秒
返信・引用
             「潮風エスケープ」  額賀 澪著
   (潮田)優弥の通う紫峰大学と、(多和田)深冬の通う紫峰大学附属高校は同じ敷地の中にある。

   深冬達がこれからフェリーで向かう、塩見島だ。優弥の故郷であり、江原ゼミの夏合宿兼フィールドワークの舞台と
   なる場所。「塩見島には、島に代々伝わる神話があってね。これは学生諸君が散々調べてくれたように、海神様のこ
   と。海の底には神界という異界があって、大昔にそこから海神様がやって来て、私達の住む世界を作ったというもの
   だ。海神様が水――つまり海しかなかったこの世界に島を作り、人を作り、穀物を与えた」・・・・
   潮祭。その祭りが九月の頭に行われるから深冬は二学期の頭に公欠をすることになった。十二年に一度しか行われな
   い奇祭。”潮祭”。当然、今年を逃がしたら次に行われるのは十二年後。これを逃がすまいと、江原ゼミは今回の
   長期合宿を決行したのだ。

   「優弥君は男だから神女にも神司にもなれないけれど、潮田家の男は祭司(さいし)っていう神司を補助する役目を
   負うから、優弥君は行く行く神司になった(汐谷)柑奈ちゃんのサポート役になるってわけ」・・・・
   「いつか、島に戻るつもりですか?祭司だか何だかになって、この島にずっといるんですか?」踊りを止められた
   優弥は最後の振りの体勢を取ったまま、しばらく深冬を見ていた。

   「初めまして、渚優美です」塩見島出身で。ユウ(優弥)の幼馴染みで。今は東京でモデルの仕事をしてて。
   歌うように、渚優美はそう続けた。「本名は、汐谷渚っていいます」汐谷。塩見島で祭事を司る二つの一族と同じ
   苗字。神司の生まれる家の、名前。「前髪、お揃いね」自分と深冬の額を交互に指さしながら、渚優美――汐谷渚
   は、笑った・・・・
   「深冬ちゃんてさ、ユウのこと好きなの?」漬け物を箸で突きながら、渚が深冬を見る。突然の質問なのに、不思議
   と深冬は驚かなかった。「いけませんか?」すんなりと、そんな言葉まで出てくる。隣に当の潮田優弥がいるという
   のに。ためらいも戸惑いも、何故かなかった。「やっぱりそうなんだ」・・・・
   「優弥君、本当に渚姉ちゃんと仲がよかった。俺も三歳とか四歳とかだったから、ほんのちょっとしか覚えてないん
   だけど」懐中電灯の光を見つめたまま、慧(高校一年生)は言う。
   「でも十二年前の潮祭の直前に渚姉ちゃんが島からボートで脱走してから、二人はずっとぎくしゃくしてた」

   深冬が構わず続けた。「この島に来てから、ぜーんぶおかしくなった!渚優美は突然現れるし、優弥先輩は優弥先輩
   じゃなくなるし。神女とか神司とか伝統とか、人が離れよう離れようと思って頑張ってきたものばっかり!ていうか、
   それしかない!ばっかみたい!そんなもの大事に大事に大事にして一体全体何が楽しいの!」

   「伝統だとか信仰だとかみんながそうしてるからとか、そういうものばっかり私達に押し付けて、私の言いたいこと
   を何一つ言わせてくれなかった。このまま神女になったら、本当に一生、この島で暮らすことになるって思ったら
   怖くなった。逃げなきゃって思った。・・・だから潮祭当日にユウを連れて島を出てやろうって思った。ユウはつい
   てきてくれなかったけどね」優弥と渚の二人は本土の街の光を見つめながら、こうやって話をしていた。

   知っている。この島に来て、わかった。彼は自分とたいして変わらない。深冬が彼を見ていたように、彼は別の人を
   一心に見ていた。その姿は格好悪いし、あまりに幼い。「深冬には相応しくないさ」――ああ。
   今、間違いなく、自分は彼に振られたのだ。

   生まれてから一度もこの小さな島を出たことのない少女が、この儀式を受けている。・・・今、深冬の目の前で奇祭
   の主役になっている。深冬と同じ十代の少女ではない何かになろうとしている。それだけで、深冬にとっては充分だ
   った。
   「私、神女になります。神女になって、高校生になったら島を出ます。私にできることを増やして、自分がやりたい
   ことを探します。最終的にそれが神司として島の行事を執り行うことかもしれないし、それ以外の何かかもしれない
   し。まだわかりませんけど」

   舞を踊る神女達の輪の側で、祭司である優弥が太鼓を叩いている。足が微かに、神女達の振りに合わせて動く。草を
   足の裏で撫でつづけるように、地面の上を滑るように。頬と額には、深冬が塗ったドーラン。神聖な何かが宿るよう
   な、血のように赤い色。・・・・

   いつもよりほんのちょっとだけ長い夏休みは、三線と太鼓と気持ち悪い模様の扇と、柑奈の下手くそな踊りと歌と、
   慧の連絡先の書かれた手帳と、指先に残った赤色と共に、終ろうとしていた。

   
 

読書あれこれ その304

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年 7月14日(日)11時19分35秒
返信・引用
           「新幹線で知る日本」  池 亨著
       なるほど地理・歴史・社会
  はじめに
   みなさん新幹線を利用して日本を再発見してみませんか。新幹線にまつわるお話や各地での出来事、祭事など、
   また旅鉄の知識も得られます。
   カラー写真の挿絵もすばらしく胸躍らせて旅の誘惑に駆り立てられます。
  □東海道新幹線
   〇1964年10月1日に開業した東海道新幹線は、日本の三大都市である東京・名古屋・大阪を結ぶ世界初の高速鉄道
    である。戦前の1940年、標準軌の高速列車「弾丸列車」の線路や施設が着工されたが、太平洋戦争の悪化で19
    43年に中止となっていた。
   〇岐阜羽島駅のある濃尾平野の真っただ中を走る。ここを流れる木曽川・揖斐川・長良川の三つを「木曽三川」と
    呼ぶ。ここは土が豊かで米作りに向く土地である。その代わりに洪水も多く、堤防で囲んだ集落の「輪中」があ
    り、避難のため石垣や土盛り上に建てられた「水屋」や、軒下に船をつるした「上げ舟」などの施設があった。
    揖斐川を渡る辺りで秀吉が一晩で造らせたとされる墨俣城の模擬天守が北側の車窓に小さく見える。
  □山陽新幹線
   〇1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、淡路島から、明石海峡大橋の下を経て、この山地の南側までの
    断層帯が動いたものである。マグニチュード7,3を記録し、神戸市を中心に震度7の激震にみまわれ、新幹線を
    はじめとする鉄道線や高速道路の高架橋が落ちたほか、多くのビルや家屋がつぶされたことは日本の都市防災
    に大きな教訓を残した。
      〇太平洋戦争末期の1945年8月6日午前8時15分、広島市の原爆が投下された。その爆心地の近くにあった広島県
    産業奨励館が被爆後に残ったものが、1996年に世界文化遺産に登録された原爆ドームである。その投下目標とな
    ったのは現・平和記念公園の或る三角州(デルタ)の突端を介して元安川と太田川の間にかかる珍しいT字型の
    相生橋であった。
  ☆リニア中央新幹線のルート
    2027年の名古屋開業を目指して建設が進むリニア中央新幹線。最高速度500km/hで走り、品川~名古屋間
    286kmをわずか40分で結ぶ予定である。簡単にそのルートをおさらいしましょう。
    ルートのほとんどはトンネルだ。起点は品川駅。????伊那山地トンネルを抜けて伊那谷に出る。天竜川を越
    え、国道153号(三州街道)付近、飯田線の元善光寺と伊那上郷の中間ぐらいで交差する辺りに長野県駅ができ
    予定だ。

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読書あれこれ その303

 投稿者:蘇る青春  投稿日:2019年 7月 2日(火)21時12分58秒
返信・引用
         「俺に似たひと」  平川 克美著
    これから語ることは、八十七歳で亡くなった父親について、その最後の二年間で俺が知りえた彼の内面について
   の物語である。とはいえ、それが事実であり真実であるという保障はない。なにしろ人間の内面というものは見る
   こともできないし、形のあるものでもないからである。
   もともと小さな身体だったが、妻に先立たれてまた一回り小さくなったように思えた。持病のパーキンソン病もひ
   どくなっているようで、コーヒーカップを持つ手が小刻みにふるえる。
   家事全般を母親に任せっぱなしにしていた父親が、これから先、ひとりでやっていけるとは思えなかったし、健康
   状態も良好だとはいえなかった。家のリフォーム中は、なんとかひとりでやりくりしており、町内会の仲間がひっき
   りなしに訪問してくれていたので、まだ気が張っていたが、まさか母親が先に逝ってしまうなどとは考えていなかっ
   たのだろう。

   ガス台の上を片付けながら、俺はまいったな、困ったことになったなと思う。「困ったこと」というのは、父親が
   危うく火事を起こしそうになったということだけではなく、そのことをよく思い出せないということにあった。
   とにかく俺は、もうこれ以上父親をひとりにしておいては危ない、もう先送りはできなくなった、という思いから、
   実家に生活の場を移すことを決断した。

   入院後すぐに、父親には強いせん妄があらわれた。せん妄とは、入院のショックから一時的に精神が錯乱したよう
   な状態になることで、幻覚が見え、妄言を口走るようになる。多くの場合、家族はそれを見て、大きなショックを
   受ける。

   思うに、股間を洗えるようになることが介護の第一ハードルを越えることになる。俺は、母親の股間を洗うことが
   できなかったかもしれないと思う。他人の股間なら、介護であれば何とも思わないだろうが、肉親の股間に直接手
   を触れるのにはやはり大きな抵抗がある。ましてや、男にとって母親の股間ともなれば、おいそれと接触するわけ
   にはいかない。母親は介護に入る前に逝ってしまったので、その関門は越えなくてよかったと思う。

   すったもんだの末、何とか病院に入ることができたが、今回はこれまでの入院とは違うものになるだろうという予感
   があった。病を癒すための入院というよりは、ここが最後の場所であり、ここから先はどこにも行くところがない、
   どこも受け入れてくれないだろうと感じていたからである。・・・・・
   しかし、意識を保っていたのは最初の数日だけであった。しばらくすると、ひどいせん妄状態があらわれた。日中
   は何とか会話することができたが、夜間は大声を上げたり、ベッドを降りようとして看護師を困らせる。

   目の前で手を拘禁され、点滴の管につながれ、酸素マスクをして朦朧としている父親を見ていると、もう母親の
   待っている場所のすぐ近くに逼(せま)っているように見えた。
   数日後、なんとか胃ろうの手術ができる目途がついたという返事をいただいた。朗報なんだろうか。そのときは
   安堵するというよりも、むしろ、とうとう口から食べられない身体になってしまうという喪失感の方が大きかった。
   病院には毎日通っていたが、手術後はほとんど会話ができる状態ではなくなっていた。

   父親はいつもと同じように、そこで眠っていた。いつもと違うのは、父親の顔に、布が被されていたことだけだった。
   そういうことかと、俺は思った。一年半の間、介護を続けてきて、いちばん俺が必要なときに、俺はいなかったと
   いうことか。最も会いたいときには会えず、最も必要なことはついに語られないのが、ひとの世の常なのかもしれ
   ない。思い通りになる世の中などは、どこにも存在していない。・・・・・
   
 

花の投稿

 投稿者:カーヤン  投稿日:2019年 6月17日(月)13時36分13秒
返信・引用
  6月は紫陽花の季節です。
今年は、5月に植木屋さんに選定してもらったせいか、それとも異常気象のせいか、分かりませんが、花数が少ないです。
我が家には、普通の紫陽花、額紫陽花、墨田の花火の3種類があり、これらを投稿しました。
 

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